ブログ2日目でいきなり「幸せ」について考えてみた。
今の自分は独立と云えば聞こえは良いが、単に電車通勤が面倒なのと、自分でやってみたいなどというワガママから脱サラしただけ。もちろん夢はある。
夢はハワイの別荘の庭先でサングラス越しにノートPCをカタカタと(笑)
ときおり空と海を見ながらボーっとするだけ。広い芝生の真ん中で子どもと遊んでいる白い帽子の良く似合うマイハニー。仕事のメールの送信が終わりPCを閉じる。潮風に乾いた喉をビールで潤していると、少し離れたお隣さんから芝刈り機の音が聞こえ、それをBGMに俺はただボーっとしている。。。
そんな毎日を想像すると、「よーし、頑張ろう」なんて思えてくるんだから、やっぱり俺は幸せなんだろう。
とは云うものの、最近めっきり運が良くないような気がする。
貧乏ヒマ無し。思うとおりに人生計画は進んでいない。なんでだろう?何故だろう?どうして俺はこんなに可哀想なのだろう?そんな情けない悩みで頭がいっぱいになることもある。努力はしている「つもり」だし、正々堂々と生きているのに・・・なんてしょぼくれてたら、最近ある重大なことに気が付いた。いや、オカルトめいた表現になるかもしれないが、「頭の中で誰かに云われた」気がした。
「愚痴が多い」
!!!ここ数年、当たり前のように愚痴を吐いている自分を今更ながら発見したのだ!なんてこった。オーマイガー。寒いが、もういちど口に出してみた。「オーマイガー!」・・・やっぱりそうだ。オーマイガーだ。愚痴だ。俺は愚痴王だ。毎日愚痴ばっかりだ。。。申し訳ないやら情けないやら、悔しい。今まで何故気が付かなかったのだろう。確認だ。さっそく辞書検索だ!
ぐ‐ち 【愚痴・愚癡】
[名]言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。「くどくど―を並べる」[名・形動]《梵mohaの訳。痴・> 無明とも訳す》仏語。三毒の一。心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。
(YAHOO!辞書[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]より抜粋)
「言っても仕方の無い」「無明」「心性が愚か」「一切の道理にくらいこと」・・・御意。まったくその通りでございます。
頭では分かっていても、諸々なる悪循環で愚痴ループに何年もはまってました。こういった悪循環は原因を探すとか、まどろっこしいことはせずに、とにかくピタっと止めることが良い。悪循環は気が付いたら止められるものである。きっとそうに違いない。何も考えずに愚痴を禁止しよう。封印だ。
そういえば、長島JAPANの通訳の人の話を思い出した。長島監督とどこか視察に行った際、車が渋滞で何時間も動かなかったときも、監督は文句のひとつも云わなかったそうだ。あれだけ偉い人が決して愚痴や文句を云わないとは。いや、だから凄くて偉い人なのだ。
松井選手も「人の悪口は絶対に云わない」という話も思い出した。だから凄くて魅力のある人間なのだ。アレ?俺、野球好きじゃないのにどうしてだろう?他にも尊敬する人はたくさん居るのに、どうして野球関係者ばかり・・・さては野球仙人か誰かのお告げだったのだろうか。ともかくありがとう!野球仙人さま。今から改心します。人の悪口や愚痴の類は一切云いません。口にしません。書きません。
改めて感謝の心を常に持ち、前向きな気持ちでどんな小さな幸せも大切にします!
・・・と、これが当ブログを始めるきっかけであり、サブタイトル「幸福論」の付いたイキサツである。
何にでも幸せは感じることができる。家庭はもちろん、趣味でも仕事でも。
ちょうど当ブログサービスには「カテゴリ」があるので、とりあえず日常生活は「幸せさがし」、仕事(プログラム製作など)は「幸せPG」と分類してみることにしよう。
まず1つ目の発見。
「気付くって、幸せなことだなぁ」
コメント
はじめまして。
『チェブラーシカ』ちゃんおしえていただいて ありがとうございます!
しあわせの探し熊野さんから私はしあわせもらいましたよ。
いえいえ。少しでもお役に立てて良かったです(^^)また遊びに行きますね♪