日本史上最近の戦争が終結を迎えてから60年。
本日の戦没者追悼式のTV中継で公表されていた日本全体の戦没者数は310万人。県によると福岡県の終戦後の人口減少は30万人だそうだ。
福岡県の人口は、次第に増加し、昭和15年(1940)にいったん300万人に達しました。その後、戦争の影響で、昭和20年(1945)には人口270万人台まで減少しました。
〜Fukuoka Data Webより抜粋
余所者の私は当時の宗像付近のことを聞いたことが無い。
昭和20年には、福岡・門司・大牟田・八幡・久留米に大空襲を受けたとのこと。宗像から見る各方面の空は、どんな色をしていたのだろうか。どんな気持ちで見つめていたのだろうか。
私は30代。地元の東京では近所のお年寄りから良く戦争話を聞かされた世代である。小学校にも元特攻隊の先生がいらっしゃった。いつも竹刀で尻を叩く怖いけど熱い先生だった。
子供の頃に遊びに通った新宿。東口へ抜けるガード下などには沢山の兵隊の格好をした人が座り込み、物乞いをしていた。殆どの人は手や足が無く、膿で汚れたボロボロの包帯姿と強烈な臭いは今でも忘れられない。当時は終戦30年。たった30年前の話。
戦争体験者の方々からすれば、思い出したくなくとも60年前など遠い昔のことでは無いはずだし、我々未経験者にとっても遠い過去の話にしてはいけないと思う。
厚生労働省によると、今年は、昨年より約200人多い5118人の遺族が参列したが、戦没者の父母世代の参列が初めてゼロとなった。一方で、子の世代が初めて参列者の6割を超え、戦後60年を経て進む世代交代が鮮明となった〜Yahoo!NEWSより抜粋
時間は前にしか進まない。
だからこそ、忘れてはならないことも有る。
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